2009年10月25日

僕の原点:PC-6001。

・「昔々あるところに、1台のパソコンがありました」
http://plusd.itmedia.co.jp/pcuser/articles/0910/25/news004.html

僕の初めての所有機は、正にこの記事のトップで紹介されている、NEC製PC-6001。まだガキだったので、本体こそ親に買ってもらったものの、それ以外は周辺機器もソフトも全て自分で調達しました。
特に増設メモリであるPC-6006・ROM/RAMカートリッジや外部記憶装置であるPC-6082・データレコーダはPC-6001をまともに使うための必需品であり、双方合わせると4万円くらいしたものです。
でも頑張って買ったんだよねぇ。PC-6006なんか、増設メモリとか言ったって16KBだぞ。今のCPUなら内蔵1次キャッシュだってこの4倍は載ってるって(汗)。それがこの値段だ、信じられます?
今思えば、増設メモリはともかくデータレコーダは純正品に拘る必要はなく、当時広く使われていた廉価な三洋電機製のものにしておけばぐっと安く済んだのに…と思わなくもないが、いずれにしても子供には高価だったよなぁ。
モニタは普通のTVの流用です。接続はビデオ端子。当時PC用のモニタは酷く高価だったし、そもそもPC-6001にはRGB出力がなかったので、専用モニタであるPC-6042/Kもビデオ端子のみ装備で、高価なばかりでわざわざ買うだけの理由に乏しかったので。というか、そこまでの解像度のグラフィック機能がなかったし。

ちなみに、引用記事中にCPUとして「これ」とμPD780C-1チップ(Z80A互換)が示されています。それはそれで正しいのだけど、実はPC-6001にはもう一つのCPU:μPD8049チップが搭載されています。デュアルCPUマシンだった訳。
といっても、今のデュアルコアCPUマシンとかとは意味が違ったりします。μPD780C-1がメインの処理を取り仕切り、μPD8049はμPD780C-1と通信を取り合ってキーボードや各種入出力を処理する。
つまり、μPD8049はどちらかと言えば今のチップセット(のサウスブリッジ)的な位置付けだった訳です。
当時はこうした構成のデュアルCPUマシンは珍しくありませんでした。今のように専用の処理チップがなかったことと、メインのCPUに全体を一元的に処理するだけのパワーがなかったからです。

これをお読みの諸兄も、もうここまでですっかり付いて来れてないだろうなぁ。当然だよ、約4半世紀も前の話だもの。
当時はPCが…というかネットまで含めたコンピューティングがこんな風になるなんて欠片ほども想像出来なかったよなぁ。逆に今の目線からすると、あんなちんけなでっかい電卓みたいなのでよくやってたよなぁと。当時のPCなんて、今ならLSIの1チップに100台分くらい楽に載りますよ(汗)。
逆にこの先、PCがどれだけ力を付けようが何が出来るようになろうが、特に驚く事もないと思います。そんなシーンは見飽きるほど見てきたから。

でも、そんな今から見れば「異次元」の世界をリアルタイムで体験出来た事は、本当に心の底から幸せだったと思えます。当時はPCの「黎明期」から「高度成長期」で、その推移の様を今日に至るまでずーっと追い続けて来れた。普段意識する事はなくても、何かが起こった時にはその長い「記録」から直感的に類似事例と解決法のヒントが飛び出してきたりもする。
そういう実用面を抜きにしても、一つの製品ジャンルが生まれて「大人」になる過程に立ち会う事が出来たのは、僥倖以外の何者でもないでしょう。

そして、その「記録」は今も続いています。今後PCが消滅する事は何だかんだ言っても非常に考えにくいので、「記録」は恐らくこの身が滅するまで続く事でしょう。今回引用した記事のPC-6001は「記録」のほぼ頭に位置する記念碑です。

とまぁ、そんな昔話がしてみたかっただけ。


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posted by 環螢 at 20:26 | TrackBack(0) | PC関連
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