2010年04月07日

デッサンなんて○○食らえ。

前回に引き続きこんなテーマにしたがやはり絵はない。悪しからず。

いやもうね、言いたい事はお題の通りな訳。

僕らが描くような漫画系の絵にとって、デッサン(力)なんてものは「なくてもまぁ良し、あればなお良し」程度のものでしかないと思う。
デッサンなんてものは所詮「道具」に過ぎない。「道具」はあくまで「手段」であって「目的」ではない。道具ばかりを磨いても、出来る作品に目を惹くものがなければ本末転倒だ。ましてや「道具」の不備を鬼の首取ったように非難しまくるなど、お門違いも甚だしい。そんなにデッサンが気になるならクロッキー教室の絵でも見てるがよい。

実を言えば、こんな風に考えるようになったのは割と最近の事だ。以前の僕は、むしろデッサン厨といっていいほどデッサンに気を遣っていた。というか、他人にデッサンの不備を指摘されたくないと、そればかり考えていたと言ってもいいかも知れない。

でも、近年になっていろいろあって、道具なんて誰でも磨けるものにこだわるのは滑稽だと再認識した。周りを見回してみれば、デッサンに難があっても目を惹く魅力ある絵は沢山存在する事に遅まきながら気付いたし、それは即ち大事な事は他に沢山あるということなんだろうと理解している。

そもそも考えてみれば、漫画絵にとって本来の意味の「デッサン」などというものはあってないようなものだ。漫画絵というのは半分は記号のようなもの。記号にデッサンはない(平面上のバランスという意味での「崩れ」はあるかも知れないが)。
そのことは萌えフィギュアとかを見れば瞭然だ。どれほど完成度の高いフィギュアでも、「異次元」に見えてしまう角度というものが必ずと言っていいほど存在する(特に顔回りで顕著だ)。「平面用の記号」を立体で再現しようと思えばどこかで破綻するのは宿命と言ってもいいだろう。真逆であるが地球と地図の関係に等しい。

敢えて誤解を恐れずに言うなら、漫画絵に必要なのは「デッサン力」ではなく、「デッサンが正しいかどうかはわからないけどそれを悟らせない力」なのだろうな。
そして、それすらも絵描きにとっては「道具」に過ぎず、もっともっと大事な事が沢山ある。でも、それが何なのかは不肖この僕には漠然としてわからない。
わかっていればこんな所で燻ってはいないだろうね。

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posted by 環螢 at 21:13 | TrackBack(0) | 絵関係(非商業)
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