ちょっとしたきっかけがあって、ファンロードに投稿したハガキのコピーの束を何年かぶりに見返した。A6版サイズのクリアファイルに入れて取ってあるのだ。全部ではないがほとんどある。数えてはいないが100枚はあるはずだ。
そして…あまりの下手っぷりに悶絶しまくり。なーんだよこれ、こんな絵描いてたのオレ?
多少でも口直しが出来ないかとラポートでさせてもらった仕事の本をいくつか見返す…さらに悶絶(汗)。こんな絵でお金もらってたのオレ??
いや何というかですね…あんな子供の落描きみたいな絵を、よくも我慢して採用して下さっていたものですよFR編集部さんは。色々と大人の事情があったにせよ、俺からすれば運に恵まれていたとしか言いようがない。 こんな拙い絵の癖にのぼせ上がってたんだよなぁ当時は。FR後に一杯痛い目に遭ってはいるけど、特に当初において「FRの常連」というネームバリューというか何というかがあったからまだ最低限の相手をしてもらえていたんだなぁと痛感する。
時代も味方してたよね。今は上手い絵なんかネットに死ぬほど転がってるから、却って初心者が入り辛い側面ってあると思う。拙い絵を不用意に発表すれば、完膚無きまでに叩き潰されて再起不能にだってなりかねない。
そこまでは行かずとも、いきなり最初から高い完成度を要求されるって風潮はあると思う。スピードだって異常なまでに要求される。
でも当時は(インター)ネットなんてまだ全然一般的じゃなくて、作品発表の舞台は紙媒体が主役だった。プロセスごとに編集者のチェックが入るから、罵詈雑言なんてそこでシャットアウトされていたし、その筋の世界にもある程度長いスパンで絵描きが育つのを待つ余裕みたいなものがあった。
そんな時代がベースだったからこそ俺みたいな三文絵描きが細々とでも生きてこられたんだと思う。もしあの頃が今の時代みたいだったら、俺なんかあっという間に木っ端微塵だった。
そう考えると、どんな事情があったにせよ、FR編集部さんにはもっと感謝していいと思い直した。そんな一件だった。